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「………」
重苦しい空気。逃げ出したい衝動に駆られたが、足が動きそうもなかった。
俺は気力だけで立っているような有様だった。
片瀬は俺に背を向け、しゃがみ込んだ。肩を震わせている。嗚咽しているのは容易に理解できた。
「…うん、…わかった」俺は溜息の様に呟いた。
…まぁ…仕方ない。勿論まだ好きではあったが、振られた事で徐々に冷静さを取り戻していた。
「…ごめんね? …ごめんなさい…」
「いや、いいんだ。…片瀬は何も悪くない」
「…う、うぅ…、ごめん…なさい…」
「泣くなよ…。…どっちかというと俺の方が泣きたいんだからさ?」
冗談のつもりで和まそうとしていったのだが、逆効果だった。
「そうだよね? 私が泣くなんておかしいよね…」
しばらく宥めるのに必死だった。
どうして振られた男が振った女を慰めているのか。シュールな構図だった。
「もう…大丈夫?」
「うん…うん」
しばらくなだめ、彼女はやがて落ち着きを取り戻しつつあった。
「でさ、どうしようか?」
「…え?」
「これからの…俺達。…関係っていうか、接し方…って言えばいいのかな」
「あ…」
「片瀬はどうしたい?」限りなく優しい声で聞いた。
「……」彼女は困惑していた。どうしたらいいかわからないといった感じだった。
「俺とはもう、一切関わりたくない?」危惧していた事を聞いてみる。
「……」
片瀬は小さく首を振る。…未練がましいが嬉しかった。
いなくなっても構わないわけではない。その程度には思ってくれていた事が。
「じゃあ、今まで通り…友達でいる?」
「……うん」
「それでいいの? 本当に。きまずくない?」
「…今は…ちょっと、難しいけど…多分大丈夫…と思う」
「そうか。…良かった。そう言って貰えて」俺は安堵した。
「に、西野君は…それで大丈夫なの?」
「ん〜そりゃあ、思う所はあるよ。でも、片瀬が俺の中からいなくなることに比べれば全然いいよ」
「…辛くないの? 私の事…す、好きなのに、友達のままで」
「友達でもいい。それ以上の関係じゃなくても。とりあえず、失う事にならなくてすんで、どこかホッとしている」
「…うん」
「じゃあ、帰ろうか? もう遅いから」
「うん…」
やがて、わかれ道に差し掛かる。俺達はそれまで一言も会話をしなかった。
流石に語るべき言葉を持たなかった。片瀬の目はまだ赤く腫れていて、俺が泣かしたのは誰の目にも明白だった。
途中、振り返る人もいたが、なるべく気にしないように努めた。
「じゃあ、また明日」俺は努めていつもの様子で言う。我ながら良く頑張っている。
本当は泣きたかったが、泣き顔の片瀬を見ると、俺まで泣くわけにはいかないような気がしていた。
「…うん、また明日…」
「ちゃんと学校来いよ? あ、それを言われるのは本来俺か」俺は少しおどけていった。
「…うん…ふふっ…」ここで彼女は初めて少し微笑んだ。
今や俺は完全なピエロだったが、そんな事はどうでも良かった。
愛する人の泣き顔を終わらせる為にはなんら惜しまなかった。
「…お休み」
「…うん、…おやすみ…」
片瀬は別れを告げると夜の道に消えた。
俺は心細そうな彼女の背中を見えなくなるまで見つめていた。
(家まで送るって言った方が良かったかな…)
しかし、振られたばかりでそんな提案を申し込めるほど、俺は図太くはなかった。強くはなかった。
そして、一人の帰り道。
さっきまで空元気を張っていた代償だろうか、歩みは重かった。
空を見上げる。何の役にも立たなかった星空の美しさがなんだかとても残酷な物に感じた。
(ロケーションは良かったと思ったんだけどなぁ…。やっぱ、釣り合わないのかな…)
一人反省会をしながら俯いて歩く。家はもう、すぐそこだった。
自分の部屋に入り、何気なく机の上を見る。
交換日記が机の棚にあった。俺は手に取り、何気なく開いてみる。
片瀬の綺麗な文字が目に映る。切なかった。とてつもなく切ない気持ちになった。
自分の腕に水滴が穿たれる。
「……あ…」
そこでで初めて泣いている事に気付いた。自覚してしまうともう止まらなかった。
俺は膝を付き、崩れるように机に寄りかかり、泣いた。みっともない姿だったが関係なかった。
…さっきまで必死で我慢していたんだ。
一番見せたくない人には涙を見せずに済んだんだ。
泣いていた彼女を、最後には笑わせることも出来たんだ。
もういいじゃないか。許してくれ。
誰に言い聞かせるわけでもなく。いや、きっと自分の弱さに言っていたのだろう。
俺はしばらく声を殺して泣いていた。床に涙の染みが出来る。
好きな人に告白して、拒絶される事の辛さ、苦しさ、悲しさを俺はこの日初めて知った。
予想もしない程の痛苦に心は千切れそうになる。
こんな苦しみを抱えてこれから生きていけるのか心配になる。
「…片瀬…」
愛する人の名前を呟いてみる。
…失敗だった。涙の勢いが増すだけだった。
俺はベッドに仰向けに倒れた。
窓から映る空は今はもう、雲に覆われていた。
もう星は見えず、少しの雨が降り始めようとしていた。心模様を代弁しているかのようだった。
(そうだ…それでいい…)
さっきはまるで役に立たなかった空の神様に少しだけ感謝して、俺は濡れた目を閉じた。
翌朝、目は少し腫れていたが目立つほどではなかった。
正直、気は重かったが学校には行かなくては。片瀬にああ言った事だし。
俺は支度を済まし、家を出た。
出来れば今日は誰とも関わらず、穏やかに静かに過ごしたかった。
傷はまだ塞がるどころか、いたずらに刺激を受ければ再び血を流してしまいそうだった。
片瀬にあったらどうしようか。知り合ってから初めて、彼女に会いたくないと思った。
しかし、運命は中途半端に俺たちを引き寄せる。
「……あ…」
通学路、今日は片瀬は一人で登校していた。
「…あ、片瀬…お、おはよう」
「お、おはよう…」
彼女も少し目が赤かった。夕べ、あれだけ泣けば無理もないか。
流した涙の量は俺も負けていないとは思うけれど。
「目が赤いね。寝不足?」俺は解かりきったことを聞く。
「…うん…。夕べ、ちょっと泣いちゃって」
「片瀬を泣かすなんて酷い人がいるもんだね」少しおどけて言う。
「ふふっ…。…ありがとう…」少しは元気になっていたようだ。俺は安堵した。
この調子なら、近い内に元の関係に戻れそうだ。例えそこから進まない関係であったとしても。
とりあえず、今の俺はそれで満足だった。
とりあえずその日は何事もなく無事授業は終わった。が、俺は帰りに秋田につかまった。
「……」彼は黙っているが、誰よりも沈黙の似合わない男だった。
「何か言いたそうだな」
「いや、…聞きたいことはあるけど、今は止めとく」
「どうせ、大体気付いてるんだろう? いいよ。お前の思っている通りだよ」
「そうか…いやすまなかったな」
「いいんだ。お前には世話になったし」
「ゴメンな。お前のお気に入りのボールペン、、踏んづけて壊しちゃって」
「…その事じゃない。それはちゃんと弁償しろ」
相変わらず、秋田は秋田だった。俺は笑った。この明るさが今はありがたい。
彼は全てわかった上で、バカをやってくれているのだ。
ともかく俺は人には比較的恵まれていた。傷心の時、癒してくれる友の存在に感謝した。
きっとすぐに、いつもの日常に帰ることが出来るだろう。俺の胸は少し軽くなった。
しばらくすると、片瀬とも元通りになりつつあった。それでも彼女は時に以前にはない、微妙な表情をすることはあったが、告白し、胸の内を伝えてしまっている以上、以前と全く同じ姿でいるのは難しい。それはある程度は仕方のない事と言えた。
しかし、告白を拒絶されても尚、俺の彼女への気持ちは変わらなかった。
徐々に友達の関係が自然な姿に戻って来ても、彼女の事は好きだった。
少しも気持ちが薄れる事はなかった。
「再来週のマラソン大会出るんでしょ?」ある日の昼休み。片瀬は唐突に言った。
「出たくないけど、単位のために…。はぁ、嫌だなぁ。まぁ、適当にダラダラ歩いて」
「ダメだよそんな。出るからには頑張らなきゃ」
「熱血だねぇ。何分、俺文科系だしさ。あくせく身体張る体力部門は片瀬さんに任せるよ」
「ふ〜ん。そお〜。あれ? でも私の方が成績良かったような…?」
「う…」
「ふふっ。頑張るよね? マラソン」
「…なぜそうなる…」
「私は全力で走るよ? 西野君も全力で走るよね? 1位…はあれだけど、入賞目指して」
「人は人。俺は俺。片瀬は片瀬」
「もう! せっかく人が鼓舞してあげてるのに!」
「だって、別に賞金や褒章があるわけじゃないしさ…」
「うー…。じゃあ、どうしたら本気出すの?」
「そうだなぁ。う〜ん…。……デ、やっぱいい」俺は思い付きを言うのを途中で止めた。
「デ? 何? 言って!」こうなると彼女は強い。
「で、……でーと……」尻すぼみな俺の声。
「………」片瀬は少し驚いた顔をした。
「あいや、いいんだ。つい。調子に乗った。悪い」俺は照れくささに目を逸らして言った。
「…いいよ?」
「……え…」
「デートすればいいんでしょ? いいわよ。それで本気出して、あなたが一生懸命走るのなら」
「…マジで?」
「大マジ」
「……やる。断固走る。絶対走る。俄然走る。よーし、燃えて来たーー!!!」
俺は立ち上がって叫んだ。
「……凄いやる気…」彼女は驚いて俺を見た。
「早速特訓する。今日から」淀みなく言う。
「え? で、でも」戸惑う片瀬。
「問答無用。俺は毎日、夕方から川原の土手で走る」
「ほ、ホントにやるの?」
「男に二言はない。俺に火をつけたのは君だ」
「…う、うん…で、どうするの?」
「とりあえず、入賞は確か10位以内か。それを目指す」
「わ、わかった…」
こうして非常に単純かつ、不純なモチベーションを得た俺は夕方一人、川原の土手を走る事になった。
一旦、家に帰り、支度をして夕暮れの空の下を走り、日が暮れる頃に練習は終わる。
片瀬が部活を終え、帰る時間に合わせていたあたり、少なくない打算が存在していた。
事実、彼女は良く帰りがけに姿を現した。
「どう? 調子は」彼女はスポーツドリンクを俺にくれた。
「サンキュー。悪くない。思ったよりもやれそうだ。意外にスタミナはあるほうみたい。結構イケると思うよ」
俺はドリンクを飲みながら汗を拭く。川辺の風が気持ちよく、身体を冷やす。
「そう。ふふっ、なんかいいね」片瀬は楽しそうに笑う。
「何が?」荒い息を整えながら俺は尋ねる。
「いや、私西野君がこんなに頑張ってる所、初めて見た。結構熱い人なんだね」
「約束があるからな。ニンジンぶら下がってれば、やる気も出るよ」
「じゃあ、楽しみにしてるね。明日の本番」
「ああ。片瀬も。って、そう言えば片瀬はどのくらいを目指してるの?」
「勿論、優勝。女子は5`だし」あっさりと野望を口にする。
「陸上部の奴も出るのに?」俺は驚いて聞く。
「だからいいんじゃない」そう言えば片瀬は体育の成績もトップクラスだった。
「勝った方が気持ちいいもん」
「そりゃそうか…。ま、俺は俺なりに頑張るよ。
10位以内でも、学年全体の10%に入らなきゃいけないわけだし」
「でも、陸上部の人も出るでしょ?」
「長距離…って言っても8`だけど、大体短距離、中距離の奴が多いからね、ウチの陸上部は。そんなに強い部じゃないし。
それに去年もそうだけど、必死に走ってる奴なんて運動部でも結構少ないからね。
基本的にウチの学校はのんびりしてるっていうか、あんまやる気のある、熱い人がいないから。
俺でも充分、付け込む隙はあるんじゃないかと。特訓の成果も上々だし」
「頑張ればあながち無茶でもないか、入賞も。厳しい事には変わりないけど」
「そういう事。まぁ見ててよ」俺は少し偉そうに言った。
「じゃ、明日」
「うん、頑張ってね。入賞」
「片瀬も、…優勝目指して」目標が女の子よりも低い俺は少し情けなかったが、彼女は気にも留めないで、「うん。お互い頑張りましょう」
俺達は握手を交わした。彼女の手は細く、柔らかだった。
しばらく彼女の手の感触を残したまま、夕暮れの中、俺は家に向かった。
…走って。
---続く---