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「そう!ちょっとアイデアが古いけどね」片瀬は笑顔で言う。
「でもそれって…」恋人同士がするものなんじゃ…と言おうとしたけど言えなかった。
「そんな気を遣わなくていいって。昔は友達同士でもやってたみたいだし」
友達と認めてくれるのか。ここで俺は初めて、攻勢に出てみようと思った。
「でもさ、俺と交換日記なんてしてたらさ。怒られないかな?」
「? 誰に?」
「い、いや…片瀬の彼氏…に」俺は勝負に出た。喉の奥で生唾を飲んで彼女の言葉に備えた。
生か死か。極刑か、自由か。大袈裟でなく、判決を待つ罪人のような気持ちだった。
「……」彼女は少し驚いていたが、やがて少し意地悪な顔になって、「…嫌味ですか?」
「え?」
「怒る人なんていないよ。彼氏なんていないもん。…今まで17年間」彼女は少し寂しそうに、怒ったように言う。
俺は天の采配に感謝した。幸運に涙がこぼれそうになった。
かと言ってまだ、スタート地点にすら立っていないのだが、そんな事はどうでも良かった。
望みが断たれることに比べれば微々たる問題だった。
「え?そ、そうなの?…なんか意外だ」努めて冷静に言った。本心ではあったけど。
「何で?」
「だって…モテそうだ…片瀬は」
「うー」片瀬は何だか迷っている。おそらく、これから言おうとしてることに対してだろう。
「どうしたの?」
「…自分で言うと、ちょっと自慢みたいで嫌なんだけど、あ、これは誰にも言わないでね?」
「うん。約束する」心から。は、思ったが言わなかった。
「その、まぁ何度かそういう事を、言われた事は…あるの」恥ずかしそうに言う。少しも自慢げには言わなかった。
「…告白?」
「…うん。」そりゃあ、そうだろう。それに関しては全く驚かなかった。実に理に適った話だった。
「でも、断ってきたわけだ? 今まで」
「…うん。全部」
「なんで? 皆気に入らなかったの?」
「…そんな事は…ないんだけど…。
カッコいい人も、面白い人も、頭の良い人も、スポーツできる人も、いた。…と思う」
「凄いなぁ」改めて彼女のレベルの高さを知らされる話だ。かぐや姫みたいだ。
「でも…」
「でも?」
「私が…いけないのかもしれない」
「? 理想が高いとか?」
「ちょっと違うと思う。臆病…なのかな…? 私、身体は大きいのに。なんか、怖かった…」
「怖い?」
「ちょっとね、嫌な事があって…。自分と相手に対して自信が持てないんだと思う…」
「嫌な事?」
「それは…ちょっと…」
「?」
「あ、うーん。楽しい話じゃないから、あんまり言いたくないな…」申し訳なさそうに言う。
「あ、いやいいんだ。充分良く話してくれたし」
「そう? あ、西野君は? 彼女」
「いない。いたことない」悲しいかな、即答。
「ごめん、そうじゃないかと思った。奥手っぽい」彼女ははにかんで言う。
「よく言われます…」自嘲気味に答える。
「あ、違うよ。悪い意味じゃないよ。真面目そうって事。それに同じだね。私達。
ふふっ、ちょっと寂しい同士だけど」
「そうだね。でも、無理に付き合わなきゃいけないわけじゃないしね。
あ、俺の方はそんな贅沢いえるような立場じゃないけど」
「ふふっ。でも、真面目なのはいい事だよ」
「ありがとう…でもさ…」
「何?」
「こういう話こそ交換日記ですれば良かったんじゃない?」
「あ、そうか…」
二人で笑う。近く、予鈴の音。
昼休みは終わりを告げたが、俺達の関係は今これから始まろうとしていた。
ともかく俺達は交換日記をする事になった。俺の頼みで、俺達意外に言わないでくれと頼んだ。
片瀬は了承してくれた。私も他の誰かに見せるつもりはなかったと。
二人の秘密。その言葉に俺は喜びを感じていた。
日記は不定期だったのだが、早い時は1日、遅くても3日と空けずに交換していた。
片瀬は部活や家の事、友達の事などごく日常的な話題を、俺は主に映画や本、たまに友達とのやり取りなどを記した。
あとは二人で学校行事や、共通の知り合い、教師の話などを話題にした。
結果は概ね好評で、片瀬は喜んでくれ、楽しみにしてくれていた。
俺も少なくとも日記の中だけは、彼女の考えや意見を俺だけが知れることが嬉しかった。
何より、彼女が俺だけのために手書きで文章を書いていてくれることが嬉しかった。
彼女の字は外見同様美しく、同年代の女子が書くような女子高生の文字ではなく、綺麗で丁寧な文字だった。
俺は彼女の文字すらも愛しく、その筆跡を指で愛撫するかのように優しくなぞった。
互いの事を知るようになると必然仲も良くなる。俺達はよく二人でいることが多くなった。
俺はそれを人に知られるのは恥ずかしいのだが、彼女は気にしていない。
それは二人の間に横たわる疎隔だった。彼女は俺を友達だと思ってるから、誰に見られても構わない。
俺は彼女を激しく意識しているからそうはいかない。そういう意識のズレはあった。
でも、俺達は友人としては極めて良好な関係を築きつつあった。日記は日増しに文字数が増えていた。
同じ様に日常での会話も増え、砕けた感じになっていった。
「ねぇ、昨日のドラマ見た?」
「あ〜途中までしか。どうなったの?」
「ふふっ、知りたい?」もったいぶって片瀬は言う。いつもの手だ。
「意地悪するなよ〜」
「ああ、喉が渇いたなぁ」わざとらしく芝居がかって言う。
「水道ならそこだよ」
「ジュースが飲みたいなぁ」
「自販機なら下の階だ」
「知りたくないの?」
「友達に教えてもらう。無償の友情を捧げてくれる友に。タダで」
「タダより高い物はないんだよ?」負けじと食い下がる片瀬。彼女は負けず嫌いだった。
「少なくともジュースよりは安い」俺は勝ち誇ったかのように言う。
俺達は良くこんなやり取りをしていた。
…そろそろかな。交換日記を続けて2週間くらい。俺は告白してもいい頃だと思った。
告白しないで、関係を壊さずこのまま友達でいるべきかとも考えたが、どう考えても片瀬は俺にとっては友達ではなかった。友達の範疇を越えた感情を抱いていたし、それを伝えずにいることは辛かった。失う可能性があっても、もう一段上に上がりたかった。
なにより、彼女に本心を隠していることが嫌だった。
朝、俺は秋田と二人で登校していた。その途中、俺は意を決して言った。
「俺さ、そろそろ言おうかと思うんだよ」
「告白…か?」
「うん」
「そうか、うん、いいんじゃないか? お前ら最近仲いいし。
まぁ、絶対大丈夫だとは言えないけど、しないで後悔するよりは良いよ」
「うん、そうする」
「当たって砕けて来い。骨は拾ってやる」
「…うん。悪いな。色々助けて貰って」
「…青春だねぇ」秋田は空を見上げて唸る様に言う。
「ホントだな」俺は笑う。
「…頑張れよ」彼は真面目な顔でそう言った。
「ああ」俺は少し笑って答えた。
その日の放課後、俺は片瀬に今日の分の交換日記を渡した。彼女はこれから部活だった。
誰かに見られない様に手渡すのは毎回苦労したが、その苦労も俺には楽しかった。
俺は一人、図書室で時間を潰し、体操部の練習が終わるのを待っていた。
やがて、頃合を見計らって俺は図書室を出て、体育館の近くで彼女の姿を探した。
日が暗くなっていくにつれ、じわじわと緊張の波が訪れた。
「あれ?西野君?どうしたの?」
「待ってた。片瀬の事を」緊張していた俺は掠れた声で言った。
「…どうしたの?なんか変」彼女はおかしそうに言う。
「ちょっといいかな、話があるんだ」
「いいよ、ここでいいの?」
「うーん、ちょっと場所変えようか」そう言って俺は彼女を誘って歩き出す。
途中、片瀬は今日も色々と話してくれた。朗らかな調子で。でも俺は殆ど覚えていない。
曖昧に相槌を打つ事に終始していた。
やがて、川の土手にやってきた。すでに空は暗く、人影もなかった。
いつもそこで草野球や草サッカーをする人達の姿ももうなかった。
「この辺でいいかな」川の土手から舗装されたジョギングコースの方に降りて俺は言った。
「? …うん…」彼女は不思議そうに俺を見る。
見渡すと空が広い。川の周りは景色が開けていて、一面に星空が広がっていた。
俺が空を見上げると彼女もつられて空を見た。
「うわぁ、今日は星が綺麗だねぇ…」彼女は惚けた様に空の美しさに酔う。
「そうだね。でも今、俺は目の前の星だけを見ていたい」
…などと、思ったがこれは流石に言えなかった。
いくらなんでも気障過ぎる。俺なんかが言ったら寒すぎる。
こんな事を思いついてしまう己の思考回路を呪った。
星空を見上げる片瀬がこちらを見ていないのを確認して、俺は自分の頭を軽く小突いた。
俺の脳は多少、混乱していた。これも経験の無さと極度の緊張から来る混乱だった。
こういうセリフはハンフリー・ボガードにでも任せてばいい。俺は俺らしく、伝えればいい。
俺は少し深呼吸をして己を戒めた。落ち着け。逸るな。慌てるな。余計な事は考えるな。
空を見上げる片瀬を呼ぶ。彼女はこっちに視線を移す。
「? どうしたの?」
「あのさ…話があるんだ」上ずる声。震えそうだったが堪えた。
「なに?」
俺は彼女をまっすぐに見据える。片瀬は少し、きょとんとして俺を見ている。
頭の中は空っぽだった。もうこの言葉しか言う必要はなかった。意を決し、口を開いた。
「…好きだ、君の事が」
「……え……」
賽は投げられた。
それはたった今俺の手元を離れ、これから彼女の采配に委ねられる事になった。
どんな目かはまだ解からなかったが確実に、今。賽は投げられた。
「俺と、付き合って欲しい」
「………」
片瀬は驚いた顔のまま、固まっている。俺は少し違和感を感じた。
彼女ほど告白されるのに慣れた人にしては、随分驚いている事に。
もっと冷静な反応が返ってくると思っていたが。
「西野君…、私の事を…好き…なの?」
「うん」即答。きっぱりと。はっきりと。しっかりと。
「本当に? …本気なの?」
「そうだ。本気だ」もう一度即答。
「…あ…」
彼女はまだ固まっている。
「返事を…聞かせて欲しい」ゆっくりと、言った。
「…え? で、でも…私…」
うろたえた彼女も初めて見たな…この期に及んでも俺はそんな事を思った。
「い、いつから、そう思ったの?」
「…あの日、練習を見学して、一緒に帰った日。
片瀬と話して、別れた帰り道で、気付いた。俺は君の事が好きなんだって」
「え? あ、あの時に?」
「そう。それからずっといつ言おうかと思ってた…それが、今日、今だった」
「…そう…なんだ…」
「………」
無限に思えるような、長い沈黙。俯いた彼女の顔が僅かに歪む。なんだか苦しそうだ。
どうしてだろう。なんで彼女は苦しそうなんだろう。
俺のせいなのか。どうして俺は彼女を苦しませなくてはいけないのか。
しかし、苦しいのは俺も同じだった。体中を冷や汗が伝う。かすかに身体は震えていた。
気を抜いたら倒れてしまいそうだった。平衡感覚を失い、大地に立っているという実感がなかった。
ぐっと拳を握り締め、身体に力を入れた。
「私は…私も西野君の事、…良く思ってるよ…」長い沈黙を破ったのは片瀬の方だった。
「…え」
「一緒にいて、楽しいし、優しいし、真面目だし…。…交換日記も、…面白いし…」
一つ一つ区切るように、彼女は言う。
「じゃ、じゃあ…」俺は少し身を乗り出し、先を急いだ。希望が見えた気がする。もしかして…?
また少しの沈黙。…それから。
「―――……」彼女は小さな声で、俺から目を逸らしたまま何か呟いた。
「…え?」しかし、その時、強い風が音を立てて俺達や川原の草花を揺らした。
片瀬の声はその風と草木がざわめく音に掻き消され、俺の耳には届かなかった。
俺はそれが告白に対する答えだと本能で理解した。
「…ごめん、聞こえなかった。もう一度言ってくれる?」
彼女は静かに伏せた顔を上げ、逸らしていた視線を俺の瞳に合わせた。
僅かに、その大きな瞳は濡れていた。酷く真剣で、悲愴な表情をしていた。
俺は全く微動だにせず、真正面から彼女の言葉を待った。
そして、もう一度、さっきと同じであろう言葉を俺に告げた。
「―――……」
…今度は風も邪魔をしなかった。
小さく、消え入りそうな、その言葉。
しかし、確かにそれは俺に届き、伝わり、聞こえた。彼女の意思を宿す音の波を。
――――瞬間。夜空の星も、街の灯りも、時折通り過ぎる車のライトも、
この場に存在するあらゆる光は潰えたのではないかと思った。
ほんのさっきまで、俺は胸の中にあった小さな光さえも。
彼女は確かにこう言った。
―――――「ごめんなさい」と。
---続く---