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せっかくの休みの日に、わざわざ英会話教室へ行くなど普通の人間なら馬鹿らしいと思うかもしれない。だが、大宮にとっては当然のことだった。一緒にいて少しも面白くない妻や子の顔を見ているより、美枝子の魅力的な笑顔を見ているほうがどれだけ心が安らぐことか。
「今日は完了不定詞の説明をします。これは少々ややこしいところですから、皆さん、集中して聞いていてくださいね」
坂口家の庭に造られたプレハブ小屋。そこが美枝子の教室だった。せまっくるしいその中で、いま数人の中年親父と年増の女が美枝子の話を聞いている。
大宮は話など聞いていなかった。美枝子が真剣な顔で話す顔に見とれながら、ちらりとこぼれる歯の白さに心を奪われていた。もっとも、この場にいる親父たちの誰もが大小同異であるにちがいない。
一時間半の授業が終わって、生徒たちの皆が帰った後になっても、大宮はまだその場に残っていた。
「坂口さん」
美枝子に声をかけた。怪訝な表情で美枝子が見つめ返してくる。
「なんでしょう。何かわたしの説明で分からないところがおありでしたか」
「いえ、そうではありません。実は最近、この教室のよからぬ噂を聞きましてね」
その噂を聞いたときから、大宮はこうして美枝子へ話しかけるとっかかりが出来たことにウキウキしていたのだ。
美枝子が顔をしかめる。
「噂ですか・・・」
「そうです。お宅のジュニアクラスの、初級のほうに新しい子が入ったそうですな。たしか、もう二十歳に近い年齢の子とか」
「岡くんのことですか」
「そう、その岡くん。わたしの聞いたところでは、彼が入ってから、他の生徒―――皆、小学生や中学生だそうですが、全員やめてしまったとか」
「・・・・そうなんです」
美枝子はうつむいた。そうして深いため息をつく。
「でも岡くんが何かしたわけではないんです。ただちょっと不良っぽい子なので、他の子の親御さん方が心配されたみたいなんです。岡くんも責任を感じたみたいで、友達を数人連れてきてくれたんですけど」
「その友達というのも、皆、不良仲間なのでしょう。いけませんな。このままでは、ここに悪い評判がたって、せっかくここまで築きあげた信用が台無しになってしまうかもしれない」
深刻な表情でそう言いながら、腹の中では愁いに沈んだ様子の美枝子もなかなか美しい、と大宮は考えていた。思わず知らず、サディスティックな気分になる。
「それだけならまだしも、その不良連中が近所で問題なんぞ起こしたら、あなたがその責めを負わされることになりかねないですぞ」
「そんなことは・・・」
強い口調で言いかけた美枝子だったが、途中で尻すぼみになる。馬鹿な女ではないから、無論そのことも考えて心配していたのだろう。
「何かあってからでは遅い。早めにしかるべき処置を取られるよう、わたしからもご忠告させていただきます。何かお力になれることがあったら、わたしも出来るだけのことはさせてもらいます」
「ありがとうございます、大宮さん」
「いえいえ」
もったいぶった口調で言いながら、大宮はこれで他の連中にはない美枝子とのつながりが出来たと思っていた。幸い、美枝子のそばに頼れる夫も子も今はいない。一人きりのか弱い人妻の力になってやろう。そしてあわよくば――。
そんな甘い夢に浸る大宮の口元は、無意識のうちに緩んでいた。
---続く---