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「どうしたのですか? あなた」
「いや、何でもない」
「お食事が進みませんか? あなたの好みじゃなかったかしら」
好みじゃない訳じゃないが、おまえの尻の中に入っていたかもしれないと思うと食欲が出ない、という言葉を私は飲み込み、「そんなことはない」と答えます。
「会社で何かあったんですか?」
「仕事は順調だ」
「それなら……」
「たいしたことじゃない」
私はわざと微笑を浮かべました。
「風呂場での絵梨子の様子を思い出していたんだ」
「嫌だ……」
妻は頬を薄赤く染めて顔を伏せます。
(何が「嫌だ」だ。このカマトトめ)
「絵梨子にあんなテクニックがあるとは思わなかったぞ。『壷洗い』まで知っているとはな。すぐにでも堀ノ内で稼げるんじゃないか」
「堀ノ内、って何ですか?」
「知らないのか? 川崎の有名なソープ街だ」
「知りません……あなた、どうしてそんなことに詳しいの」
妻は怒ったような表情を見せます。
「詳しい訳じゃない。常識として知っているだけだ。絵梨子こそソープ嬢が使うような技をどこで身につけた? 少なくとも俺は教えた覚えはないぞ」
私は極力怪しまれないように、冗談を言うように言います。妻は一瞬慌てたような顔になりましたが、すぐに落ち着きを取り戻します。
「さ、さあ……知りませんわ。たぶん、映画かドラマで見たのを覚えていたのかも」
TVドラマでそこまでの描写をする訳がありません。映画だとしたらポルノですが、私の知っている範囲では妻がそのような映画を見たことはありません。
「そうか。俺の知らないところで絵梨子はエッチな映画やビデオを見て研究していたという訳か。絵梨子もなかなか隅に置けないな」
「エッチなビデオなんて見ていませんわ。あなたと一緒にしないで」
妻はそう言って頬を膨らませます。
「悪い悪い、さっきの絵梨子があまりに素晴らしかったので、ついからかいたくなったんだ」
私はそれ以上追求すると墓穴を掘ると感じ、その話題は切り上げました。
私がそれほど鈍感な人間ではないということを示して犬山たちを牽制しつつ、かつ彼らに警戒させないというのはなかなか困難です。いずれにしてもこのままでは家の中での私の行動は大きく制限されてしまいます。どうやって事態を打開すればいいのか。私は頭を悩ませました。
「あなた……」
私は妻が呼びかけているのにも気づきませんでした。
「あなた」
妻の声が大きくなり、私はようやく気がつきます。
「どうしたんですか、ぼんやりして」
「いや、何でもない。それより何か用か」
「用ということはないんですがお願いが……」
妻は言いにくそうに話し始めます。
「実は来月また、PTAの役員会の旅行があるんですが……」
「来月? 旅行は先週の週末に行ったばかりじゃないか」
私はオンライン役員会を覗いていたため、ラグビー部OB会の慰安旅行に藤村さんと妻が無理やり参加を承諾させられたことは知っていますが、もちろん始めて聞いたような顔をしたのは言うまでもありません。
「前回のは本部の役員だけの親睦旅行で、今度のは厚生部や文化部の役員も含めた旅行なんです。本部役員として不参加というわけにもいかず、あなたや浩樹にはまた不自由をかけて申し訳ないんですが、参加させていただけないでしょうか?」
「……」
こうやって妻が夫である私に嘘をつく様子、私がまんまと騙される様子もCCDカメラを通じて他の男性役員たちに実況中継されているのでしょう。私は犬山たちのとんでもない悪趣味にあきれる思いでした。
しかし今はそんな感情を表に出すわけにはいきません。私は苦汁を飲むような思いで「わかった、行ってこい」と妻に告げました。これを見ている犬山たちは私の愚かさを笑っていることでしょう。私の心の中に彼らに対する復讐心がめらめらと燃え上がってきました。
---続く---